本記事を読むことで得られるメリット・教訓
世界的名著を大まかに理解できる
競走に終わりはなく永遠に満足できないことを知る
「私が正しい」は報復を生むことを知る
みなさんは一番になりたいですか?一番というのは気持ちが良いものですよね。2番より1番のほうがずっと良いですよね?今日はその「競走」がある限り幸せになれないというお話をします。
人生に競走がある限り幸せになれない
あなたの人生は今まで競走ばかりだったと思います。
- 小学校では、徒競走が早いほうが格好良い
- 中学校では、期末試験の結果が廊下に貼り出される
- 高校では、大学受験
- 大学では、就職活動。成績次第で企業への推薦状もあり
- 社会人では、出世競走
- ママ友との、旦那の年収でマウンティング合戦
どんな年齢、どんな立場になっても競走は絶えません。
競走自体は人間という種が進化し繁栄するためには重要な本能です。しかし今の世の中、人間は繁栄しきっています。これ以上繁栄する必要はありません。複雑化した現代社会では、人間にとって有益となる適度なストレスを遥かに超える競走で溢れかえっています。
はたして、こんな超ストレスの競走ばかりの世界で心は休まりますか?幸せになれるでしょうか?
競争では永遠に満足できない
最も恐ろしいことは、この競走には終わりがないということ。例えばサラリーマンを例にしましょう。良い大学に入り、大企業に入って出世競争も勝ち抜いたとしましょう。
ではそこで、競走は終わりでしょうか?今度は他の大企業の社長や重役というライバルが出現します。それに勝ち抜いても、今度は世界的大企業というライバルが出現します。収入という面も考えれば、企業に勤めていない資産家がライバルとして名を挙げます。
おそらく一生競走になるでしょう。果たしてこれは幸せでしょうか?
劣等感があなたを酷い人間にする
あなたが何か1つでも世界一の特技を持つ人なら、競走ばかりの世界でも自尊心を保って幸せに暮らせるでしょう。しかし世界のほとんどの人は私のように”平凡”です。「世界一の特技」なんて普通の人は持ってません。そんな”平凡な”人にとって「この世は常に他人との比較」「自分より優れた人を羨む人生」「自分より劣った人を見て安堵する人生」となってしまいます。
他人との比較で一喜一憂する人生は楽しいでしょうか?
- 「この世は常に他人との比較」
- 「自分より優れた人を羨む」
- 「自分より劣った人を見て安堵する」
の根底には、あなたの劣等感が存在しています。この劣等感が度を超えると
- 他人の成功を、素直に喜べない
- 他人の不幸を、心のどこかでほくそ笑む
そんなひどい人間になってしまうリスクがあります。
こうなったら取り返しがつきません。あなたの価値は常に他人との比較でしか高められません。アイツに勝った。アイツに負けた。アイツが成功した。アイツが失敗した。と一喜一憂、周囲の人間はみんな敵。あなたの心安らぐ場所なんてこの世には存在しません。
「私は正しい」が危険
本書では「他人を羨む」だけでなく「自分のほうが正しい」と思うことも「競走」だとし、これも危険な考え方だといいます。
例えば、仕事で意見の対立した相手をあなたが完膚なきまでに論破したとしましょう。その場はあなたの勝利です。とっても気持ちよくなります。
しかし、一度負けた相手は別の手段で報復してきます。別の打ち合わせであなたの揚げ足をとってみたり、上司にあなたの評判を下げる告げ口をするかもしません。相手が無意識のうちにあなたを避けるようになるかもしれません。
最悪の場合、報復が報復を呼び終わりのない仕返し合戦に発展します。はたしてこれは幸せでしょうか?はじめはお互いに信念と正義を持って議論していたにもかかわらず、気づいたら相手を傷つけることが目的になってしまっているのです。
まとめ
現代社会は過度な競争であふれている。
人生の競争に終わりはない。
劣等感があなたを酷い人間にする。
「私が正しい」は報復を生む。
どうすれば競争をせず幸せな人生を歩めるのか?は次回の記事でまとめたいと思います。(もったいつけてすいません(;^_^A
最後に
本記事は本書のごく一部を、私の経験も含めて解説しています。詳しく知りたい方はぜひこちら↓をクリックしてみてください。
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